迷い、憂い、戸惑い、狂い、光を聴く
ご機嫌よろしゅうございます。
今年に入って薄茶点前を教えて頂き、難易度が増してきたことがわかる。
去年頂いたテキストに点前のやり方が詳しく載っていたので家で復習することが出来るようになったことは僕にとって非常に嬉しいことだった。
先月の薄茶点前は、復習の効果が少しは出ていたのでとても楽しい時間だった。
しかし歩き方をかなり直されたので、テキストをみて練習してから今月の稽古に出かけた。
美容の技術も同じだが、やればやるほど上手くなる。
先生はどれだけの練習を重ね続けてきたのだろうか?!
一つ一つ今自分が置かれている状況に集中するしか方法はないのだ。
少しづつ続けるのだともっと自分に言い聞かせなければ!
今回、先生は静岡でやる夏の茶会のお話しをしてくてた。
茶会に生ける花を僕に担当させてくれると言う。
ありがたいことだ。
去年から花に興味津々な僕は、この成長のチャンスを逃したくない。
最初は茶会には行きたいが、仕事もあるし参加しようか本当に迷った。
今の仕事状況は、過去とは違うからだ。
一度鎌倉の店を辞め、戻ってきてお客様が激減してしまった。
自分としては、あらゆる美の修行をしてパワーアップしたのだが、理解はされなかった。
辞めるときの伝え方、戻ってきたときの伝え方がいけなかったと今思っている。
決して軽い気持ちで辞め、軽い気持ちで戻ってきたわけではない。
以前勤めていたとき、お客様は今の10倍はいただろう。
しかし美容師として、もっと成長しないと衰退すると強く思っていた。
自分の美容師像にも近づけないと。
ほど遠いと。
お客様は皆さん素晴らしい方ばかりでした。お客様に教わったことで今の僕がいる。
しかし僕自身の問題として大きな壁があった。そこに悩んでいた。店を辞めた。
2年という修行期間を過ごしていたところに、お店のオーナーから再度声がかかったその時、僕は心底戻りたいと思った。
今まで支えてくれたお客様に成果を見て頂きたい。そう考えていた。
育ててくれたお客様を心から敬愛しているし、敬愛していた。
しかし人生そうは上手くいかない。
僕はお客様を怒らしてしまったのだ、ガッカリさせてしまったのだ。
再度サロンドミューに戻って一年が過ぎた。
どんなに苦しくても、進まなければならない。
仕事が空いた時間は、闇の中。
色んな思いが駆け巡っていた。
そんな時、お茶の稽古に救われていた。
先生から学ぶことで、なぜか僕は光を見ることが出来た。
そうしてサロンドミューに戻ってから一年が経ち、新たな目標、目的が出来た。美容師として。一人の人間として…
今月のお軸は―白雲断所家山妙―しろくもたゆるところかざんみょうなり
白い雲は迷いであり、その迷いが断ち切れ、隙間から家や山が美しく見えるという意味と教わった。
今の僕は不安はや恐れは確かにあるだろう。
しかし
迷いはない。
大切なのは自分自身がやって来たことを、今に集中して精一杯あらわすことだ。
この軸の言葉を実現したい。
ご縁に感謝です。
2019年 初稽古
ごきげんよろしゅうございます。
点前と花
初釜の時の体調不良から一転、初稽古はとても気持ちよくいつものように歩いて芳草庵へ向かった。
しかし薄茶点前をしっかり覚えているかは、いささか不安で憂鬱であった。
ついてすぐ薄茶点前の稽古が始まる。
素早く用意し、点前をすると驚くほどに手が動いた。
荒削りであるが先生にもなんとか良い評価を頂いた。
ただ歩き方、向き、道具を持つ位置などは再三直された。
ひとつひとつ。
反復あるのみ。
午後は最近の僕の花への興味から、先生は花の稽古もやってくれました。
生けてる最中、集中力を保つのが大変だった。パターンがあまり思い付かず苦心した。
正直何も出来なかった。。。
『 僕 』
稽古日が重なったHさんの生けたものが素晴らしい。勉強になります。
『 Hさん 』
お菓子は豊島屋さんの鶴。
目は黒胡麻。
帰りは足の痛さを抱え、行く前の不安は飛びやっぱり来てよかったといつものように感じていた。
自分よもっと精進せよ。
ご縁に感謝。
今月の稽古
ごきげんよろしゅうございます。
茶の湯を始めて1年が...
今年最後の茶の湯の稽古。
とても天気が良く、この日の朝は少しひんやりし、シンとした空気が漂っていた。
稽古場までの道すがら、去年の今頃初めて芳草庵に来たことを思い出していた。月に1回なので、稽古12回と茶会数回。
どれだけ成長できただろうか。。。
今月のお軸は円相。
自分の心を写す窓、円窓とも言われる。
1年を通して今の自分の心を覗いてみると、
今年は重要な課題を、発見した年になった。
平成最後の宿題が決定した。
来年やるべきこと。
- お茶×髪ヘアスタイルをつくる。
- 茶の湯の点前を丁寧に覚える。
- いい塩梅でさらけ出したい。
- 表現法を増やしたい。
今年も残り僅か。
ご縁に感謝。
冬至。「 月さびよ 」
ごきげんよろしゅうございます。
冬至
今日は冬至。世の中は師走で例年通りいそがしい人々。
ここ数年、僕にとって冬至はとても重要な意味を持っています。
それはこの冬至の時節に感じることが出来るであろう、
千利休の侘びの精神があるからだ。
日頃ついつい欲がでて、もっともっととほしいものが出てしまう。
しかし利休さんはいう。
冬枯れの何もない景色に、満ち足りる心が湧いてくる。
春にはこの景色に、新緑が生え、花が咲くから。
この時僕は、
こっちの方が豊かじゃない?
または新しくない?
って感じてしまう。
冬至はこのような利休さんの侘びを体感できるかもしれない大切な季節となっている。
今日は今年最後の満月をみている。
日本の幽玄な美に包まれている。
幸い福きたる。
夜空一面が分厚い雲に覆われているが、月のところだけかすかでおぼろげ。
ときより雲が切れて、確かで深奥なさま。
「 月さびよ 」
ご縁に感謝。
茶の湯の11月は新年?!
ごきげんよろしゅうございます。
炉開き
茶の湯には炉開きというものがあるらしい。
そういえば10月の稽古でお盆点前を一旦卒業して、
「 次は炉を使った薄茶点前に入りましょう 」と先生に言われたんだった。
茶の湯は5月から10月まで閉じていた炉に炭を焚き、釜をしつらえる。
この湯で茶を点てもてなす。
炉開きという。
炉開きを迎えることで、無事に1年を迎えられたというどこか引き締まる気持ちと、感謝する心があらためて芽生えるこの会。
またはお正月のように祝いや華やいだ気分にも。
しかし僕はと言えば、いつもながら炉を使った初めての点前なので、1つ1つの所作に振り回されつつ先生の誘導に導かれ、相変わらず為す術なしの状態であった。
だが確実に前よりも身体は動き、心は拡がってきた。
たくさんやらないと何もわからない。
とりあえず普段からもっと点前を意識しなきゃ。
口切
炉開きの他に、11月の口切という行事も大切にされている。
初夏に摘み取った茶葉を、大きな茶壺に入れておき、この時期に蓋を切るのである。
茶壺は通気性を良くし茶葉の熟成を助けるようです。
開けてすぐに茶臼で引き粉末にして、口切の茶事を行う。
僕自身はそのような会に行けはしないが、今自分にとって楽しい茶の作法やしつらえが、とても尊いものであることは変わらない。
あぁいつの日か、自分の茶会を開いてみとうございます。。。
合掌。
侘びとは何か?! 定家侘び、利休侘び、現象侘び。
ごきげんよろしゅうございます。
3つの侘び。
僕が思い描こうとしている侘びとは、大きく3つあります。
① 歌人 藤原定家の侘び
秋が暮れ、真っ赤に染め上げている風景が、やがて落葉し枯れていくさまに湧いてくる、
受動的で哀愁感が漂う儚い侘び。
「 見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ 」
これは新古今和歌集に入っている定家の歌。
定家侘びの真髄です。
咲き誇る紅葉の美しさはもちろんですが、
散りゆく儚さにも美しさを感じとることが出来るだろうとした、
定家の肯定感ある美意識。
② 茶人 千利休の侘び
真っ白い雪景色の何もないさま、
それは利休の言う道具はあり合わせでよいとする侘びに繋がる。
雪の下からは、新しい芽が出始めているだろうと想う、
能動的で高揚感のある創造的な侘び。
春はもうすぐそこまで来ている。
この季節、花が咲くことを想い描けば、
何も持ち合わせてなくとも精神が豊かになれるという。
冬至から春へ向かう時期、利休侘びのこころを垣間見ることが出来ます。
③ 現象的侘び
何か現象が続くとそれは侘びてくる。
手入れしてあることが極めて重要。
例えば漆の器があるとします。
その器が使っているうちに漆が剥げてきます。
新品ももちろん美しいですが、剥げてきた具合いに風合いを感じます。
しかし手入れしてあることが重要であり美しくみえる秘訣である。
またよく家で使われる木製のダイニングテーブルも同じことが言えますね。
侘びは日常の中に沢山あります。
このように一つ一つ大切に手入れして使い、時間に耐えたものが現象侘びとなります。
まとめ
この他にも侘びの定義は多岐に渡るとおもいます。
振り返れば足利義政公の銀閣寺、慈照寺の東山文化まで遡れます。
しかしこのように過去の美意識は、我々にとってかえって新しい感覚を与えると考えています。
直感的に感じる美意識は不思議です。
時には自分にとって、
未来よりも新しいことがあったのだ。